羨望
ずっと観たい、観たい、とおもっていた『ニューヨーク眺めのいい部屋売ります』をついに観てきました。
http://www.nagamenoiiheya.net/sp/index.html
モーガン・フリーマンとダイアン・キートン演じる初老(というには少し早い)夫婦が、長年住んだブルックリンの家をエレベーターがないために売りに出す週末を描いた1本。
ストーリーはシンプルで、飾り気がなく、展開も思った通りなのだけれど、モーガン&ダイアンの自然あたたかな夫婦の姿が、とても印象的でした。
そして、この映画を観ていて、憧れの対象の変化に気がついた。
子供のころは、美しい若者になることに対する憧れはあるけれど、おばさんやおじさん、なんて年代には何の憧れも抱かなかった。むしろ自分は35歳で若いまま亡くなれたら、美人薄命的なロマンがあって素敵だ、なんて思っていた。タイタニックのジャックみたいに。
でも、26歳という、きっと大人といえるような歳になって、老いることへの憧れというものが芽生えてきたことに気づいた。人生の甘やかさや辛酸を味わいながら、そこに一本筋が通った信念みたいなものを持って、心から愛する人を得て、色々な人との交差がありながら、生き抜いてきた年月が与えてくれる、深みある美しさ。そういう美しい老いへの憧れを、再認識する映画でした。
わたし自身は、人生終わってしまうときは、『愛に溢れた、最高に楽しい人生だった』と満足して、けれど『こんなに愛おしいものを置いて去りたくない』と悲しんで、そうやって亡くなりたい。
この映画のダイアン演じるルースは、ずっと年上なのに可笑しいけれど、自分を見ているようだった。
わたしもルースのように、色々なことを心配しては迷い、大切なひとを貶す発言にはその人以上に怒り、自由に生きていくことに賛成するだろう。
そしてそういう自分を少しだけ気に入っている。
昨年訪れた2度目のNY。うつくしい街。
おふろノスタルジー
ずいぶん放置してしまいました、いきなり!笑
いろいろと考えた結果、自分の思ったことをただ書き留めるように、このブログをつくりたいなとおもいます。
一瞬のノスタルジーやひらめき、気づいたこと、でもすぐに忘れてしまうことを、覚えておくため。
今日ぬるくなったお風呂につかりながら、やけどしてしまいそうな熱湯をとぽとぽと入れていたとき、お母さんのことを思い出した。
むかしはよくお母さんと、臙脂色の浴槽に一緒に入ったこと。いろいろなことを話して、ビューティフルライフというドラマの最終回の日には、大泣きしながらお風呂に入って、なぐさめてもらったこと。
いつも熱湯を入れる蛇口の側にお母さんがいてくれて、当時は暑がりだったわたしに優しく温かいお湯が行き渡るようにしてくれたこと。
もうあんな子供時代には戻れないのかとおもうと、胸がぎゅうっと寂しくなって、だけど一瞬で抑えることができて。
本当に母はわたしの憧れのひとなんだなあと、若くて綺麗だった母にいま会いたいなあなんて、そんなことを思いました。
(母は健在で、相変わらず可愛いひとです)
おもての優雅さ
イベント企画というあまり気に入っていないお仕事をするようになって、気づいたことがある。
企画の内容を考えたり、講演の手配をしたり、そういうのはあまり好きになれないのだけれど、当日になって、受付をするのはとても楽しい。
明るい笑顔を作って、まろやかな声で対応すること。その日ばかりはきちんと自然な色のマニキュアを塗って、名刺を頂いたり、パンフレットをお渡ししたりすること。それは本当の私とはちっとも関係なくて、かけ離れていて、一過性の美しい瞬間を作るということのような気がする。
そのときだけ、違う人間になったような気持ち。
偽ることが楽しいんだろうか、と考えるとすこし物悲しい気持ちになったけれど、おそらく自分はそういうささやかな美しさみたいなものが好きなのだ。
学生時代も百貨店でお見送りのアルバイトをしていて、同じことを感じた。ただ百貨店を出ていくお客様に、ありがとうございました、とお辞儀をするお仕事。
夜だったから人通りもないし、お客さんだって気づいていないかもしれないけれど、きっちりと清潔に装って、お客さんの歩くスピードによってもお辞儀の長さを調整したりする。そういう隠れた優雅さみたいなものが、私は好きだったのだ。
そういうのは、自分のこころをすこしだけ豊かにしてくれるような気がする。
できればそういうのが、お仕事だけではなくて、自分自身のこころがけになればいいのになあと思うけれど、だらだらするのも大好きなのでなかなかむずかしい。
いつかはどんなときも髪を結いあげて、お着物を着て暮らすような、美しいおばあちゃんになれればいいな、なんて考えている。
明るい笑顔を作って、まろやかな声で対応すること。その日ばかりはきちんと自然な色のマニキュアを塗って、名刺を頂いたり、パンフレットをお渡ししたりすること。それは本当の私とはちっとも関係なくて、かけ離れていて、一過性の美しい瞬間を作るということのような気がする。
そのときだけ、違う人間になったような気持ち。
偽ることが楽しいんだろうか、と考えるとすこし物悲しい気持ちになったけれど、おそらく自分はそういうささやかな美しさみたいなものが好きなのだ。
学生時代も百貨店でお見送りのアルバイトをしていて、同じことを感じた。ただ百貨店を出ていくお客様に、ありがとうございました、とお辞儀をするお仕事。
夜だったから人通りもないし、お客さんだって気づいていないかもしれないけれど、きっちりと清潔に装って、お客さんの歩くスピードによってもお辞儀の長さを調整したりする。そういう隠れた優雅さみたいなものが、私は好きだったのだ。
そういうのは、自分のこころをすこしだけ豊かにしてくれるような気がする。
できればそういうのが、お仕事だけではなくて、自分自身のこころがけになればいいのになあと思うけれど、だらだらするのも大好きなのでなかなかむずかしい。
いつかはどんなときも髪を結いあげて、お着物を着て暮らすような、美しいおばあちゃんになれればいいな、なんて考えている。
プレゼント
ずっと昔は、自分の名前があまり好きではなかった。
ゆき、という響きは日本人にとって雪を連想させるし、なんだか自分にはおしとやかでおとなしすぎるような印象だったから。
現に小説や漫画のキャラクターでも、ゆき、という名前のキャラクターは大体控えめでミステリアスで言葉少ななパターンが多いように思われる。
私は海の近くの田舎の生まれなのだけれど、昔からすこし、ふるさとで浮いていた。
父は地元のひとだったけれど、母は東京で育っていて、明らかにほかのお母さんたちとは違っていた。
母のスタイリッシュな洋服のセンス、抜けるように真っ白な肌、おっとりとした標準語。
私は他の女の子たちと同じように、薄いピンクのリボンが沢山ついた野暮ったい服を着たがったけれど、母はそれを絶対に許さなかったし、代わりに与えられたのはスキニーなショッキングピンクのワンピースだった。
私は母に似て日本人離れした顔立ちだったし、言葉もうまく地元になじまなかった。家は父の事務所がくっついているせいで大きかった。
それだけで、ちいさな田舎町で浮くには十分な要素を持っていた。
だからこそ、嫌だったのだ。ゆき、なんてお嬢様みたいな名前。
案の定小学校でも、中学校でも、高校でも私はお嬢様扱いされたし、それは一種の仲間外れみたいなもののように思えた。
それだけで、ちいさな田舎町で浮くには十分な要素を持っていた。
だからこそ、嫌だったのだ。ゆき、なんてお嬢様みたいな名前。
案の定小学校でも、中学校でも、高校でも私はお嬢様扱いされたし、それは一種の仲間外れみたいなもののように思えた。
お嬢様扱いされるのが嫌で、きたない言葉を覚えて積極的に使ったし、男の子と喧嘩したりもしたし、家や成績の話は一切しなかった。
仲の良い友達もいたし、ふるさとは好きだったけれど、どこか違うんじゃないかと思いながら暮らすことはさみしかった。
大学に上がってやっと、自分の名前を好きになれた。
しあわせを願って必死に考えてくれた漢字。
初対面のひとが私の名前を見て、ご両親に愛されているんだね、と言ってくれることが嬉しかった。
そして気づいたのだ、自分は大人になったんだと。母のことも、家のことも、友達のことも、浮いていたことも、すべてしょうがなかった、と思えるようになったこと。
誰が悪いわけでもなかったし、それが自分だったのだと。
名前は親が子供に一番初めにくれるプレゼントだと、なにかで読んだことがある。
私もいつか、子供が好きになってくれるような名前を考えてあげたい。